2010年3月22日月曜日

2009年7月16日木曜日

telephone box


telephone box, originally uploaded by t2chkk.

2009年2月21日土曜日

2009年2月15日日曜日

動物園

 彼らはこの狭い世界をどう感じているのだろうか。ここで生まれた子はこの動物園しか知らない。外の世界については時折やってくる新入りから聞いた話でしか知らないはずだ。だが、新入りはここ数年入ってきていない。おそらく、今サル山で取り上げられている話題はここ最近のサル山内での四方山話、世代交代についてなどの政治的な話題ばかりで、若い世代のサル達が外の世界に関する話を聞く機会はそう多くはないだろう。
 野村君に蒼ざめた顔で平謝りされたのは、もう半日も前の話だ。ホンドザルのタクマとサヤカが、昨日の夜、閉園後に動物園から脱走したのだ。野村君がサル舎と人間が通行する通路との間の鉄格子のかんぬきを閉め忘れたことが原因である。
 昨晩から、野村君と私、そしてサル担当で副主任の福森さんを中心に飼育員総動員での捜索が開始された。サルは昼行性であるため、夜、ねぐらにするであろう所を手当たり次第探せば容易に見つかるだろうと思われていた。
 しかし、手がかりすら見つからないまま今朝に至っている。

 タクマはこの動物園で生まれ、今年で五歳になるオスザルで、サヤカは同じくこの動物園で生まれた四歳のメスザルである。彼らの名前を正確に知っている人間なんて、この世に私と副主任の福森さん、野村君、そしてその他のサル担当の飼育員二名、そして近隣の大学で霊長類を専門として研究されている延岡先生くらいしかいないのではないだろうか。園長に至っては、記者会見をする前に慌てて名前を聞き、何度も聞き返し確認する始末だ。
 タクマはリーダー格のサルではなく、サル山内での階級はそれほど高くない。普段もそれほど目立たない大人しい部類のサルだと聞いている。野村君によく懐いており、野村君もタクマに関してはあまり手を焼いたことがないとのことだった。だが、サヤカは問題児として有名で、飼育員にも何度となく怪我をさせている。福森さんは、いつも傷だらけでサヤカのことばかり笑いながら話していた。

 警察の出動も加え、二匹の捜索は一晩中続いた。本施設がある山を降りれば、そこは農地であり、サルの大好物はごまんとある。しかもこの季節は収穫時期であり、農家の人々は当然神経質だ。また、我が市は農業を第一産業とする都市では全国でモデルケースとなるほど少子化対策に成功し都市であるため、子供達が多く通う小学校や幼稚園が複数存在する。もしも子供達に何かあれば、赤字経営が続いているこの施設の運営の存続についての議論が加速することは容易に想像できる。
 言葉を憚らずいってしまえば、たかがサルの一匹や二匹である。しかし影響を考えれば、今日が入園者の少ない平日であることもあり、休園して園を挙げての対策に専念するのが懸命であった。

 青森県北部のある地方都市では、山から下りて来て畑を荒らすニホンザルから多大な損害を被っている。そのため、以前から人間とサルの共生についての活発な議論が盛んに行なわれている。現在その地方都市では、対策として個体数調整を行う方針で決定している。その方向として、関東の巨大動物園がその引き受けとして名乗り出るなど、東北地方のはずれで引き起こされたこの議論は思いのほか全国区となっている。しかし一定の動物園で一定数のサルを引き受けたところで問題が完全な解決へと向かうわけではなく、いかに共存していける環境を作っていくのかという議論は今後も止むことはないだろう。
 ニホンザルの飼育を長年やっていた経験を買われてか、私が過去に勤務していた動物園では、「地方都市におけるサルとの共存」に関する官庁主催のワークショップや、民間でも複数ある動物愛護団体の講演、討論会に時間を割いてきた。しかし官庁主催のワークショップでは「人間とサルが共生しやすいような環境作りとして環境整備に予算をつけるべきだ」、また民間の愛護団体では「人間の居住地域が拡大し過ぎた。それを再考した上での都市計画を立てて行くべきだ」という毎度同じ結論に辿りついていた。こんな着地点の見えない話合いを悠長に行いながら、とりあえず直近の現実的な政策として個体数調整(いわゆる駆除)が実施される方向となったことは容易に想像がつく。
 そんな中、関東の動物園が個体の引き受けに名乗り出たのも、同じ立場からすると至極現実的な提案だと思う。しかし、それに追随してうちのような小規模な園が動けるかというと、それはまた難しい問題だ。健全に運営出来ている動物園が全国にどれだけあるだろう。

 私は常々、動物園という施設、運営体に疑問を感じながらこの仕事を続けてきた。人間がこの地球、地域で様々な動物達と共存していく上で、彼らの生態調査は重要である。また様々な環境の変化(主に我々人間が起因となる)によって絶滅の危機に瀕している種の保存を行なっていくという、とても重要な役割を動物園が担っていることは間違いのないことである。それを担うため、
私は大学を卒業し、この業界に入ってきた。そしてその気持ちは今も勿論変わってはいない。
 だが、日本の動物園で飼育、展示されている数万という動物達個々について考えたときには微かに疑問がよぎる。動物園が、様々な経緯でここに来る以外の選択肢がなかった動物達の最後の場所だという位置づけを踏まえた上でも。

 事件は地元のローカル局のニュースでも大きく取り上げられていた。有識者として、この動物園から少し離れたところに位置する大学の先生が解説をしていた。何度か仕事を一緒にしたことのある面識のある先生だ。だが、悪意はないであろうものの、サルの危険性についてフォーカスされてしまうような話し方をしていたのには少々辟易した。本来であれば延岡先生に出てきて話をしていただきたかったが、また海外に行かれているのだろうか。延岡先生であれば、愛すべきサル達のためにも、無意味な混乱を招くような安易な発言はしなかっただろう。
 動物達への愛情というべきか、愛護の精神は、檻の中で安全を確保された彼らと我々との間の距離で語られている。その枠組みが外された時、それはまた別の話だ。
 閉ざされた世界で生まれ育ち、外の世界を知らない二匹のサル達。彼らは今、外の世界をどう見ているのだろう。彼らが帰って来た時、仲間のサル達に外の世界のことをどう伝えるのだろうか。そして、彼らはこの閉ざされた世界に何を思うのだろうか。

 野村君をはじめ、捜索に当たった者は皆疲弊している。施設の今後や自分の生活を案じて怒りを隠さない職員も少なくない。すでに漆黒の闇に包まれた園内には異変に気づいたサル達のけたたましい鳴き声が響き渡っている。私は市の担当課の職員および動物園の運営に関わる諸団体からの問い合わせ対応に追われていた。